「 注目せよ、尖閣に隠れるガス田問題 」
『週刊新潮』 2010年10月21日号
日本ルネッサンス 第432回
東シナ海のガス田「白樺」(中国名「春暁」)で中国が堂々と掘削を開始した。ドリルが運び込まれ、9月17日までに掘削が始まり、海水が濁り始めた。9月18日に「朝日新聞」が一面に掲載した写真には海水の色の変化がくっきりと写っていた。
東シナ海の日中中間線からわずか4キロ中国側に入ったところに白樺のプラットフォームが建てられている。その下に広がる天然ガス田は中間線を越えて日本側にも広がっており、中国が掘削を進めれば、日本の海底ガス田の資源も奪われる。そのため、日本政府は自民党政権時代からずっと、中国は白樺の開発を単独で進めてはならないと主張してきた。
2008年には、中国側も日中共同開発に合意し、日本政府は、万が一、中国が単独掘削を始めるなら、「然るべき(対抗)措置をとる」と、言明し、中国側を牽制してきた。
掘削が始まったことをどのように確認するのか。答えはいつも、「海水の濁り」だった。海水の濁りは掘削開始を意味すると、政治家も関連省庁も繰り返してきた。そしていま、海は濁り続けている。前原誠司外務大臣は10月11日、取材に答えた。
「たしかにドリルを出してきましたが、開発を始めたかどうかまでは確認がとれていません。ただ、エネ庁はかなり精密に調べています」
一方、資源エネルギー庁の平井裕秀石油・天然ガス課長は9月24日の自民党外交部会で、「掘削された可能性が高いと見ている」と述べた。それでも、「尚、確認中」として対処を先延ばしにするのは、現実逃避である。これで切り抜けられると中国側に誤解させることである。この問いに前原氏は答えた。
「その点も含めて、中国と話をしています。中国側に動きがあったのは日本が中国人船長を拘束していたときです。その後、明らかに彼らの態度は変化してきました。それを含めて総合的に、シビアに分析中です」
しかし、10月8日までの段階で、中国が白樺掘削に関する日本政府の問い合せに一切答えない状況も、海水の濁りが続いていることも前原氏は認めた。
海域の戦略的重要性
東シナ海の中国のガス田開発問題をいち早く報道し、日本政府に警告した随一の専門家、平松茂雄氏は、現状から見て掘削は進行していると断言する。日中政府間合意は反古にされているのである。にも拘らず、尖閣諸島周辺の領海侵犯事件が目眩ましとなって、より重要な東シナ海ガス田問題がさほど注目されていないのが現状だ。平松氏が指摘する。
「白樺の位置をよく見ると、この海域の戦略的重要性が見てとれます。中国が西太平洋に出ようとするとき、必ず通過しなければならないのが白樺の海域です。逆に言えば、同海域を中国が押さえれば、米艦隊は中国に近寄れない。地図をじっと眺めているうちに、白樺の天然ガスや石油資源開発は口実で、この海域を支配し、西太平洋に進出する拠点を築くのが真の目的だったのではないかとさえ、考え始めたほど、この海域の戦略的重要性を痛感しています」
1996年に中国が台湾海峡にミサイル13発を撃ち込んだとき、米国は空母2隻を派遣した。内1隻の「インディペンデンス」は沖縄本島と宮古島の間を北上し、西進して基隆(キールン)に到着した。まさに問題の海域を航行することで、台湾の危機に対処し得たのだ。
96年当時、中国はスッと引き下がったが、これからはどうか。白樺の中国単独開発を許せば、日本の排他的経済水域である東シナ海の半分をも中国に明け渡すことになりかねない。東シナ海全体の領有を主張する中国の立場に、日本が大きく譲るということだ。中国の東シナ海における支配力は強まり、米国も容易に近づけなくなる。
中国には司令部を青島に置く北海艦隊、寧波の東海艦隊、湛江の南海艦隊がある。北海艦隊と東海艦隊が太平洋に出るには白樺周辺海域を通り、沖縄本島と宮古島の間を抜けなければならない。平松氏が警告した。
「東シナ海での活動の先に中国が睨んでいるのは、わが国の尖閣諸島と宮古島を一部とする先島諸島、宮古島と沖縄本島の海域、さらには沖縄本島です。中国はこうした陸と海を、すべて影響下に置こうとしています。いま起きている事態を放置すると、東シナ海が中国の影響下に入るばかりか、中国海軍が東シナ海から『宮古海域』を南下して、西太平洋に出るのを容易に許すことになります。これは中国の台湾攻略を非常に有利に、決定的にするでしょう」
南シナ海での有事には、北海及び東海艦隊が台湾海峡経由で南下しなければならない。東シナ海や黄海での有事には南海艦隊が台湾海峡を北上しなければならない。台湾を押さえることは中国の至上命題である。台湾への支配の強化は、東シナ海で日本を牽制し、中国支配を強化する戦略と同時進行する性質のものだ。だからこそ、日本は東シナ海で安易に譲歩してはならないのである。
言葉による外交だけ
前原氏は、東シナ海問題を、08年の日中共同開発の合意に戻すと語る。だが、言葉による外交だけで、果たしてそれは可能か。この問題は、領土領海を国家としてどう捉えるかという、根本的な問いを日本に突きつける。主権国家としての行動を日本は取り得るのか。その問いに真正面から「イエス」と答え、行動しない限り、いかなる言葉も無意味である。
菅直人首相はブリュッセルでの温家宝首相との短い対話のあと、「(日中関係が)元に戻ればいいなぁと考えている」と述べた。6月に政権を担当した直後に胡錦涛国家主席と会い、戦略的互恵関係を確認したその時点に戻りたいというわけだ。領海侵犯問題もガス田開発問題も、何ら解決されないまま、元に戻って、一体、何の意味があるのだろうか。
首相は、10月6日の国会で自民党の稲田朋美氏の質問に、「これほど汚い言葉」と見当違いの非難を浴びせた。氏の質問は正しい言葉遣いで表現された至極真っ当な問いだった。首相の決めつけには根拠も真実もなかったため、結局翌7日、謝罪した。
稲田氏を中傷した首相はしかし、自分に情報を上げに来る官僚に再三、声を荒らげてきた。国連総会出席のためにニューヨークに出発する前、官邸で勉強会が開かれ、進講に集った官僚に、首相は机を叩いて大声で怒鳴った。日中関係の難しさに苛立ったのだ。だが、尖閣領海侵犯事件が発生したとき、民主党代表選挙にかかり切りで何の対策も打たず、問題処理が出来なかったのは首相の責任だ。にも拘らず、ここに再録するのも恥ずかしい「汚い言葉遣い」で首相は怒鳴った。
首相たる地位の人には似合わない言葉で部下を怒るより、尖閣や東シナ海問題の含む重大な意味をこそ、首相は勉強すべきである。